時代を超えて受け継がれる想い

時代を超え受け継がれる想い

創業者の茂木重次郎

社会課題に挑んできた軌跡

鉛中毒から救った安全な白粉(おしろい)
1878年、当社創業者である茂木重次郎は、慶應義塾、東京大学設立の母体となる開成学校で勉学に励む中、兄茂木春太より日本で無毒な白粉を製造できないかという相談を受けました。当時白粉には鉛が使用されており、鉛中毒で苦しんでいた人々の助けになるため、重次郎は亜鉛華の製造に着手し、ゼロからの開発で連日の失敗を繰り返しながら、1879年、遂に日本初の国産亜鉛華の製造に成功しました。

誰もが安心して使用できる国産塗料を開発
1870年代、当時の日本は文明開化により国内には様々な建物や船が建造され、塗料の需要が高まっていました。しかし、塗料の開発には高度な知識と技術が必要であり、輸入塗料の詰め替えや水増しで巨利を得る商人が蔓延する中、重次郎は「西洋に負けない塗料を作りたい」と決心しました。その思いのもと一心不乱に研究に没頭し、輸入塗料の転売ではなく独力で開発する道を選び、1880年、日本初の国産塗料を完成させました。

船舶塗料の実用化
海軍塗工長から塗料製造事業の共同経営の誘いを受け、国産船舶塗料の開発と実用化に挑戦。海軍塗工長支援のもと共同組合光明社を1881年に創立しました。これが、日本ペイントグループの始まりです。船舶塗料は当社グループの創業事業であり、厳しい海洋環境からの船舶の保護、環境負荷低減、省エネルギーなど現在も技術革新を続けています。

日本ペイントグループの
経営理念

日本ペイントグループ経営理念の根幹を成す、創業時から現代まで引き継がれてきた信念や価値観について、歴史を紐解きながらご紹介します。

沿革

沿革

日本ペイントグループは、1881年に前身である「光明社」が我が国初の洋式塗料を製造して以来、国内では最も長い歴史を誇る総合塗料メーカーとして皆さまに支えられ140周年を迎えました。
1962年、アジアの販売代理店として、Wuthelam(ウットラム)と提携し、NIPSEA事業を開始して以来、1975年に米国、1992年に中国、1993年頃からアジア各国へ進出し、2014年にアジア合弁事業を当社グループが連結化したことで、当社グループはアジアで1位、世界で4位のグローバル塗料メーカーとなりました。
今年1月にアジア合弁会社の100%化およびインドネシア事業の買収を完了したことで、グローバル一体運営を加速させ、創業時から引き継がれている企業理念を基に、塗料のグローバルリーディングカンパニーとして、社会課題解決に向けた製品・技術の創出に挑戦し続けます。

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