〔第1回目〕目に飛び込み心を射抜く色は、時として言葉よりも雄弁に、今までと違った文化の始まりを伝える

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四天王寺

歴史的建造物において
色彩は技術の進歩を際立たせる象徴

新しい時代を告げるもの、それが塗料です。目に飛び込み心を射抜く色は、時として言葉よりも雄弁に、今までと違った文化の始まりを伝えます。

そのような働きが最も大きいのはいったい何の色彩だろう?と考えたとき、浮かび上がってくるのが建造物の色彩です。

建造物は何らかの目的があって建てられます。例えば、大事なものを収めたり、人が暮らしたり、中で行動したりするためにつくられます。そのため、大抵は人の背丈より高く作られ、幅もあります。また、中の人や物を守るように、壁で覆われてもいます。そして、人の目に映る広い面を持っているのも特徴です。

したがって、建造物がまとう色の効果は絶大となります。もし、部分ごとに塗り分けたとしたら、きっと、さまざまな部材が組み立てられていることが強調され、つくっている技術の新しさが際立ってくるはずです。今までのものとはいっそう違った見た目になり、その建造物が建てられた新たな目的も鮮明になるでしょう。

建造物は高く、大きくつくられることによって、時代の画期を広く印象づけることができます。古今東西、そのように建てられ、歴史的な建造物として現在、大切にされているものはたくさんあります。そこでは色彩は大きな要素になります。一定の規模を持った建造物に施された色は、遠目からも確認できます。風景の中に出現した新しい色彩は、多くの人々に新時代の訪れを実感させることになるのです。

渡来文化の影響を受け
日本建築史は大きな転換点を迎える

日本の建造物の歩みには、2つの大きな画期があります。大陸から仏教建築がもたらされた6世紀と、西洋建築を建て始めた19世紀です。共に、それまでには無いような目的を持った建造物が求められ、それをつくる上で新しい技術も導入されました。日本の社会を変革しようという意志が、新たな建造物を引き入れたのです。

例えば「洋館」と耳にした時、ペンキが塗られた姿が思い浮かぶのではないでしょうか。19世紀半ばの開国以降、それまでと違った材料や構法を使った西洋建築が国内でつくられるようになりました。それらは壁が印象的な建築です。石や煉瓦で築かれたものはもちろん、木で建てられたものであっても壁の存在感は強いのです。壁面を中心に美観が整えられ、そこで塗装は大きな役割を果たします。
そんな斬新な建造物が最初、海外とのコミュニケーションの中心地で建てられ、やがて全国に広まっていきました。新たな色彩をもった建造物が新しい時代を視覚化し、列島の人々の心理も塗り替えていったのです。何気ない洋館も、導入された新しい色のインパクトを保持し、そんな新技術が使いこなされていった証といえます。

四天王寺の特徴的な伽藍配置は
大陸との深い交流を裏付けるなによりの証左

同様の画期が6世紀にもありました。そんな始まりの感覚を、大阪の四天王寺は鮮烈に伝えています。現在の建造物は1945年の戦災によって従来の木造建物の大半が焼失した後、1963年に復興されたものです。

四天王寺の建立は593年の飛鳥時代にまでさかのぼります。6世紀に公式に伝えられた仏教は、豪族間の対立にも影響を与えました。四天王寺については『日本書紀』に記録されています。587年の物部守屋と蘇我馬子の合戦の際、仏教を受容する蘇我氏についた聖徳太子(厩戸皇子)が形勢の不利を打開するために自ら四天王像を彫り、この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立すると誓願し、勝利の後に約束を果たして建立したものであると記されています。
奈良の法隆寺よりも古い時代に建てられたことを伝える一端が、独特の建造物の配置であることをご存知でしょうか。中門、五重塔、金堂、講堂が一直線に並び、それらを回廊が囲んでいます。これは朝鮮半島の寺院と共通したつくりで、仏教をもたらした当時の百済と日本との深い交流を示し「四天王寺式伽藍配置」と呼ばれ、古くから注目されてきました。
第二次世界大戦後に発掘調査が行われた発掘調査によって当初の配置がより明確になり、出土した部材から創建時の姿の一部が判明するといった大発見もありました。こうした新知見を生かしながら、足りない部分は想像で補って、現在の建造物が復元設計されたのです。

朱塗りの柱と白壁の対比が
在りし日の四天王寺を鮮やかによみがえらせる

色彩はここで大きな役割を果たしています。柱は朱色に塗られ、白い壁とのコントラストが鮮やかで、目を凝らせば柱の側面がカーブしているのが分かります。胴張りやエンタシスと呼ばれる柱の膨らみは、法隆寺にあるものに似せながら、より強い曲線を備えています。古い時代に建てられたのであるから、さらに素朴で、たくましかっただろうという想像にもとづいた設計です。

率直な存在感には、屋根の下に放射状に配された垂木も寄与しています。通常のように平行に並べるのではないこのような形式は扇垂木と呼ばれます。法隆寺とは異なり、ここで扇垂木が使われていた事実は、発掘調査で創建時の部材が出土したことで明らかになりました。中央から広がる配置が、朱色の塗装によって印象づけられており、垂木の断面が円形であるのも古い形式にのっとったものです。断面は遠くからも目を引く黄色で、軒の終端を規律づけています。塗料は、さまざまな部材によって組み立てられ、精緻に構築された建造物の存在感を引き立てているのです。

全体配置から細部までの構成に、日本に導入された仏教建築の新しさがあります。四天王寺を戦後復興するにあたっては、こうした建造物としての一貫性を復活させることが意図されたのです。事実をもとに、足りない部分を大胆に想像で補っているのは、そのためなのです。編成のありようを、塗料が強調しています。

建築物の色彩は、時代の節目を象徴しています。その節目から、今の日本をつくっている大きな部分が始まったことを、四天王寺の建造物は実感させてくれるのです。

四天王寺には日本ペイントの塗料が採用されています。ご興味のある方はぜひこちらをご覧ください。
https://www.nipponpaint.co.jp/


建築史家

倉方俊輔氏

大阪市立大学教授。日本近現代の建築史の研究と並行して、日本最大の建築公開イベント「イケフェス大阪」の実行委員会委員を務めるなど、建築の魅力的な価値を社会に発信する活動を展開している。著書に『京都 近現代建築ものがたり』(平凡社)、『東京モダン建築さんぽ』(エクスナレッジ)、『吉阪隆正とル・コルビュジエ』(王国社)、編著に『伊東忠太建築資料集』(ゆまに書房)、共著に『別冊太陽 日本の住宅一〇〇年』(平凡社)ほか。日本建築学会賞(業績)、日本建築学会教育賞(教育貢献)。

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