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2021.05.07

140周年Vol.1:塗料工業の発祥と船底塗料技術基盤の創出(草創・確立期 1881~1926年)

#企業情報・経営 #採用情報 #140周年

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光明社創業、わが国塗料工業の興り

華やかな文明開化の時期を迎えようとしていた明治14年(1881年)、海軍の塗料管理者・中川平吉は、塗料工業の発展は国家的重大問題であると考えて、化学に明るく塗料産業に強い関心をもっていた茂木重次郎らに呼びかけ、東京市芝区三田に協同組合光明社を設立しました。それは、日本ペイント140年の歴史の第1歩であり、日本の塗料工業のはじまりでした。

 海軍からの受注や、西洋建築の増加もあって事業が拡大したことで、明治26年(1893年)、合資会社光明社に組織を改めました。そして、明治27年(1894年)、ついに純白の亜鉛華の製造法を発見し、明治30年(1897年)に「亜鉛華精製法」として特許を得て、技術の礎を築きました。

日本ペイント製造株式会社の創立と船底塗料の開発

光明社創業当時、塗料需要は東日本に集中していましたが、やがて西日本の需要も高まり、東京、大阪の2ヵ所の工場で生産を行うようになりました。また、同時に株式会社の設立を進め、明治31年(1898年)3月14日、日本ペイント製造株式会社を設立しました。明治45年(1912年)には、関東地区8店、関西地区17店の特約店をもつまでに流通網が拡大しました。

 明治時代は多数の船舶が建造され、それらに対応する船舶用塗料の大半に当社製品が使われていましたが、船底塗料は防汚、防さび、耐水性といった特殊機能が求められ、全面的に輸入塗料に頼っていた時代でした。その船底塗料の国産化をめざし、当社は欧米への技術視察、研究開発、実船塗装試験などを経て、明治45年(1912年)に船底塗料の国産化を成功させました。この船底塗料開発の成功は、現代まで続く多様な技術開発の基盤となっています。

経営危機を乗り越え、技術研鑽・販路拡大

大正時代は、未曽有の不況にさらされ、創業以来初の赤字に転落しました。不採算部門や本社組織の廃止など、思い切った縮小策を実施するとともに、社員持ち株制度を導入するなどの運営の民主化を図りました。さらに、特約店との関係を強化し、大正11年(1922年)、全国的な販売店の連絡会を組織し、当社株の保有を奨励し、連携を深めました。この製販共栄の理念に基づいた強力な販売店組織は、事業発展の模範的な事例と高く評価され、特約店制度策定の参考ともされました。また、現代にまで受け継がれる日本ペイントグループの「共存共栄」の理念となります。

 経営改革と並行して技術力の研鑽・向上に注力し、大正9年(1920年)、研究部を創設しました。その成果、国産初の特殊塗料である耐アルカリ性塗料や、耐酸塗料などに結実しました。明治45年(1912年)に開発した漆と油性塗料の長所を兼備した新塗料は、鉄道車両の漆塗料時代を現出することになりました。塗工部を設け、橋梁の塗装でも次々に実績を挙げるなど、新しい技術で塗料の歴史を刻みました。



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