東洋一の大阪工場を建設し、日本ペイント株式会社と改称
昭和2年(1927年)11月、社名を「日本ペイント株式会社」と改称した年の6月には、大阪工場内にイギリス式の鉄骨コンクリート造り、1680㎡の東洋一のペイント工場が完成し、生産力を増強しました。
昭和4年(1929年)、ニューヨーク株式の暴落を機に始まった、世界恐慌時は積極的な塗料普及運動を全国規模で展開し、不況期乗り切りに努め、昭和6年(1931年)11月には本社を大阪に移転しました。
今日にまで続く新しい技術の芽吹き、合成樹脂塗料開発
昭和(1926年以降)に入ると、当社の技術開発は大きく前進し、昭和2年(1927年)にはアルミ粉を混入したきわめて美しい銀色塗料「シルバーコート」を発売し、続いてパイロキシリンラッカー(※1)「二ホンラッカー」を開発し自動車塗装に用いられはじめました。
昭和4年(1929年)には、今日の合成樹脂塗料の先駆けとなる石炭酸樹脂(フェノール樹脂)塗料「コーケン」を大阪市立工業研究所と共同で開発しました。この合成樹脂塗料研究の成果は、日本学術協会大会で発表され、各方面から絶賛される技術となりました。「コーケン」は当時の塗料業界で時代の象徴となり、電車、家具、什器、電気絶縁用など多用途に活用されるようになりました。
「コーケン」の発売以降、昭和6年(1931年)には、フタル酸樹脂塗料「ボデラック」、昭和8年(1933年)には尿素ホルマリン合成樹脂塗料「トーメイ」と、次々に新しい合成樹脂系塗料を発売しました。「トーメイ」は白木など日本建築用の透明塗料として、当時の建築、家具をはじめ、汽船の客室、客車内の塗装などに多用されました。また、「ボデラック」は鉄道車両用外板塗料として最適であり、以後50年、業界のスタンダードとなりました。
「コーケン」に代表される合成樹脂塗料開発により、塗料業界の新時代を作り、今日にも続く技術が芽吹いた昭和初期ですが、昭和20年(1945年)8月15日、太平洋戦争が終結し、当社は5社を数える海外拠点、7工場すべて失う形となりました。
※1:パイロキシリンラッカー:ニトロセルロースを樹脂類などとともに揮発性の溶剤に溶かしたもの。