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2021.09.22

140周年Vol.4:世界進出と技術革新(躍進期 1965~1979年)

#企業情報・経営 #採用情報 #140周年

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成長経済下、果敢な設備投資で企業力強化

 昭和40年(1965年)代に入ると、日本の高度経済成長は加速し、車・クーラー・カラーテレビが“新三種の神器”として国民の憧れになりました。当社も日本の経済成長速度と豊かさ志向の波に乗り、果敢に設備投資を行い企業として大きく飛躍しました。
自動車用塗料の需要の増大に伴い、広島工場に加えて新設された愛知工場では、自動車用電着塗料、中塗り塗料、上塗り塗料までをトータルに供給していました。千葉工場では、合成樹脂工場を増設し、粉体塗料の製造ラインを完成させました。
また、研究・開発部門の強化として、大阪に中央研究所と技術研究所を、東京には東京技術研究所を、海洋開発の進展に備えて岡山県に臨海研究所(現:臨海評価技術センター)を設立し、基礎研究から応用研究、生産技術の開発まで、総合的に研究開発を進める体制を整えました。

東南アジアグループの確立

 当社は、昭和27年(1952年)から台湾への塗料輸出開始や米国企業との提携など、戦後の海外再進出の第一歩を踏み出しました。日本が輸出大国として成長するこの時代においては、昭和37年(1962年)、シンガポールにパン・マレーシア・ペイント・インダストリー社(現 NIPPON PAINT (SINGAPORE) COMPANY PRIVATE LIMITED)を設立し、昭和40年(1965年)に現地工場を完成させ、いち早く生産を開始しました。以後、東南アジア全域に合弁事業を拡大し、日本ペイントブランドの生産販売体制の確立に注力しました。昭和46年(1971年)には、マレーシア、タイ、インドネシア、中国、香港等で7社の合弁会社を設立、昭和49年(1974年)には、海外持株会社ニプシー・ホールディングス・インターナショナル社を香港に設立し、当社の東南アジアグループ体制構想は約8年で実現しました。

技術革新による、積極的な商品開発

高度経済成長期の日本経済を支えたのは技術革新で、当社も、アメリカから導入した技術を錬磨熟成しながら独自技術の開発へとつなげました。昭和40年(1965年)には、米国のPPG社と水溶性工業用塗料および電着用塗料について、昭和44年(1969年)には、米国シャーウイン・ウィリアムズ社とコイルコーティング用塗料についてそれぞれ技術提携契約を結びました。また、昭和46年(1971年)には、プラスチック用塗料および真空蒸着用塗料(※)の製造販売を目的として、日本ビー・ケミカル(株)(現:日本ペイント・オートモーティブコーティングス)を設立するなどしました。
昭和51年(1976年)には、電着塗料のシェア拡大、昭和52年(1977年)には、自動車用塗料技術とともに、当社技術の核でもある、船舶用塗料の分野でも大きな飛躍がありました。英国インターナショナル・ペイント社と技術提携し、昭和53年(1978年)に自己研磨型(セルフポリシングタイプ)新型船底塗料(「ニッペSPC」)を開発しました。航行燃費を低減するこの塗料は、国内外の主要船主から指名受注を受けるなど、船底塗料に新時代を開くことになりました。
同じころ、ビルの高層化、都市構造物の大型化が進み、重防食塗料、鉄骨用防さび塗料、内外壁用塗料などでも著しい発展を遂げました。

※真空蒸着用塗料・・・アルミやインジウムなどの金属を熱して蒸気の蓄積で金属のような塗膜を形成する蒸着の密着性を高め、保護や外観向上のための塗料



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